|
|
御所大神宮縁起
朝、岡部のような高いところをのぼって、東海山大乗寺という浄土宗のお寺の
哲誉上人に会った。この寺の門前は谷越しに橋を掛け渡して、そこに清らかに
みずが流れていたが、そのありさまは格別であった。この谷水のほとりに、
御所大神宮というささやかな祠がある。人に尋ねると、
「昔、何と申すのか名は知らないが、一人の宮様が、どのような罪でか
ながされて来られ、ここに住んでおわしました。その宮の御館をところの人は
みな御所の宮と申し上げた。宮が亡くなるとそこに塚を築き、宮の御亡骸を
おさめて、めのと(乳母のことだがここでは乳母の子か)小藤太というものが
花を折り、水を奉って、亡き霊を祀って年を過ごしていた。
ある年の事、「この浦の家は残りなく大波に打ち壊され、人も大勢命を失うだろう、
早く逃れよ」と宮の確かな夢のお告げがあったので、そのお示しの通り、人々は
この高い丘に逃げ登ってその日を待った。おおせに違わず津波が押し寄せてきた。
この確かな証をみてから、浦人は恐れ尊んで、御塚を神として祀り、社を建てて、
御所宮と祀ったが、私を始めもの知らぬ漁師、木こりらが、御所大神宮とわけも
わからずに崇めまつり奉っている。そのほかにも御神の霊験のいちじるしいことが
多かった。木村小藤太の子孫は、いまもこの神にお仕えしている。その家には、剣、
太刀がさびながら残っているが、それを遠い先祖の持っていた宝として尊んでいる。」
と語った。
菅江真澄遊覧記 寛政五年十二月一日より
|
|
|
|